空色きゃんでぃ
アニメやドラマの感想を書いてます((o(。・ω・。)o))
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>誰でもを平等に扱える音無が、この世界での神に一番近いのかも。 平等だったのでしょうか。 今回の音無を見ていて 直井への言葉は まるで音無が自分自身に言っている様な、 本当は記憶があるのでは? と思えるような言葉に感じてしまいました。 だから、俺たちの人生といったのかなと。 記憶としては例えばこんなのはどうでしょうか。 音無は岩沢の憧れたサッドマシーンだった。 ただし、本当は別の奴が歌うはずだった。そいつは歌えなくなり、代わりに、曲とそいつの人生を与えられて得たデビューと成功だったとか。 そして、ファンも自分も騙して歌い続ける日々に傷は膿んでいき、色々なストレスから耳が聞こえなくなり、今は音無を名乗りネトゲ中毒。 直井へ言った言葉はその昔デビューのために呑み込んだ言葉だった。 そして 「頑張ったのは俺だ。 必死にもがいたのも俺だ。 (この曲は俺のだ。 この(ファンからの手紙)想いも俺のだ。)」 と直井に向かって自分に言っていたとか >人生に抗う戦いってなんなんだろう。 自分自身を認めること? いつまでここにいる?とか こっちへ来い、とか お節介はいくらでも焼けるけど でも最後に決めるのは本人だけなのかな 秋夫達のように引きずり出す(引きずり込む?)方法は否定しませんが。 ある小説の 「その者の価値は、何者かではなく、その行いによってのみ決まる」みたい話ではありませんが、 直井の父が優しく微笑んだのは、兄だったからではなく、その優しさ(行い)にだったのだと信じるだけの強さ?を得ることが戦いなのかなと思います。 まぁとても難しい話ですが… 王が飢えるものに与えるパンも 飢えるものが飢えるものに与えるパンも 同じ優しさ?同じ行いなのだと思うことは… 支離滅裂ですみません
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