空色きゃんでぃ
アニメやドラマの感想を書いてます((o(。・ω・。)o))
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>槙島は人の本質を見たいのかなぁ…? あまり近づきすぎると喰われますよ。 いやもう喰われているかも。 個人的な意見ですが 人の言葉とはその人が見てきた誰かの言葉なのだと思います。 人の頭の中には無数の人がいてその時一番強い奴の言葉が表に出てくる。 何かを知るというのは、その人数を増やすということなのだと思います。 でも言い換えれば、それは頭の一部をそいつにのっとられる、同化する、ということなのだと思います。 人は経験といって誰かを喰っている様でいて実はそいつに喰われている。 槙島という澱みに近づけば近づくほどその澱みを受け入れることになる。 槙島を理解したときその人の頭の中はもう槙島に住みつかれてしまった後。 槙島がしたいことはわかりませんが、この作品のしたいことは槙島を視聴者の頭の中に入れることだと思います。 殺人鬼予備軍を作り出すそれがこの作品の目的。 でも本当はその先を見ているのだと思います。 淀んだものほど清いもの惹かれる。 とあるアニメの言葉ですが、淀んだ心は清いものを探そうとするのだと思います。 サイコパスの世界の淀みの中で、カガリとアカネの日常風景が光に見えるように。 リボーンの最終回に、いざとなれば助けてくれる仲間がいる、というセリフがありましたが、この作品もそっち系なのかなと思います。 この作品が突っ走ったしても他の作品が助けてくれる。 いつかどこかの誰かの中の劣化版真綾が騒ぎ出しても、アラジンが、キリトが、龍之介が、止めてくれる。 それは、人の心にアリババやイスカンダルが根付いたということ。 誰かを傷つける人間がいても、誰かを救う人間もいる。 淀みを与え英雄を生み出す劇薬。 それがこの作品なのかなと思います。
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